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交響曲と交響詩は何が違うのか|楽章が無くても「交響」と名乗る理由

交響曲と交響詩は何が違うのか|楽章が無くても「交響」と名乗る理由

交響曲と交響詩は、どちらもオーケストラが主役の大規模な管弦楽曲です。違いの核心は、楽章に分かれているかどうかと、音楽の外にある何かを描いているかどうかにあります。

なお、ここでいう交響詩は、詩に曲をつけた歌のことではありません。名前に「詩」とあっても、主役は言葉ではなく管弦楽の音です。

交響曲と交響詩の違い:まず1分だけ

交響曲は、管弦楽で演奏する多楽章の大規模な曲です。原則として4つほどの楽章からなり、少なくとも1つはソナタ形式で書かれるのが定義とされます。古典派の時代には、音楽の外のものと結びつかない絶対音楽として書かれた曲がほとんどでした。くわしくは交響曲とはでも扱っています。

交響詩は、詩や小説、絵画、風景といった音楽の外にあるものを描く管弦楽曲で、多くは切れ目のない1つの楽章でできています。

並べて見ると、違いは4つに絞れます

比べる点

交響曲

交響詩

楽章

古典派では4楽章が標準

多くは切れ目のない1つの楽章

題材

古典派では音楽の外と結びつかない絶対音楽がほとんど

詩・小説・絵画・風景など音楽の外のもの

形

ソナタ形式などの型が骨組み

形式は自由。リストは主題を作り変えて進めた

生まれた時期

18世紀に4楽章の形が定着

19世紀半ばにリストが命名

例

ベートーヴェン「運命」

スメタナ「モルダウ」、R.シュトラウス「ドン・ファン」

シュトラウスの「ドン・ファン」は1888年の作で、詩人レーナウの未完の詩『ドン・ファン』に基づく、演奏時間が約17〜18分の1曲です。表のとおり、これは典型的な交響詩の姿ですが、あくまで傾向であり、例外は次に触れます。

なぜ楽章が無いのに「交響」と名乗るのか

手がかりは、リストの狙いにあります。リストは、演奏会用序曲より大きな、1楽章の曲を書きたいと考えていたと説明されます。題材は物語や情景のまま、規模と複雑さは交響曲の第1楽章に並ぶものにしたかった、ということです。

音楽学者のヒュー・マクドナルドは、リストがこれらの曲で「交響的な思考の伝統的な論理」を示そうとしたと述べているとされます。つまり「交響」は、楽章の数ではなく、主題を展開して大きな流れを組み立てる論理を指す、と読めます。これは出典の言葉を私なりに読んだ解釈で、リスト自身が命名の理由を語った言葉ではありません。

境目に立つ曲もあります。ベルリオーズの幻想交響曲は、5つの楽章すべてに標題をもつ交響曲で、交響詩の先駆けとされます。名前は交響曲でも、中身は物語を描く側に寄っているわけです。

交響曲と交響詩が生まれた時代

交響曲の祖先とされるのは、17世紀イタリアのオペラの序曲「シンフォニア」です。18世紀にはウィーンなどで貴族の家々が楽団を抱えて交響曲を支え、ハイドンやモーツァルトの時代に4楽章の形が定着しました。

同じころ、物語や情景を1曲に詰めた演奏会用序曲が盛んに書かれました。1830年にはパリで「幻想交響曲」が初演されました。

リストはヴァイマルで、1848年から1858年にかけて1楽章の管弦楽曲を12曲書き進めました。1854年2月には「オルフェウス」がグルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の前に演奏され、同月の「レ・プレリュード」の演奏で「交響詩」の名が公に使われたとされます。序曲に近い演奏会の場から育ったジャンルと言えそうです。

スメタナは耳が聞こえなくなった1874年に「モルダウ」を書き、1879年までに6曲の「我が祖国」を仕上げ、全曲は1882年にプラハで初演されました。一方ドイツでは、ブラームスが絶対音楽に、ワーグナーが楽劇に向かい、交響詩は歓迎されにくかったと説明されます。

境目はあいまい:連作の交響詩と、1楽章の交響曲

「交響詩は1楽章、交響曲は多楽章」は、あくまで多くの場合の話です。スメタナの「我が祖国」は、「モルダウ」を含む6曲の交響詩の集まりで、もとは1曲ずつの独立した作品として構想されたと説明されます。それでも全曲をひとつの作品として演奏・録音することが多く、6楽章の1作品のようにも扱われます。

逆に、シベリウスの交響曲第7番は、1つの楽章でできた交響曲です。楽章の数だけでは、どちらの名を名乗るかは決まりません。手がかりになるのは、作曲者が曲にどちらの名を付けたかです。

一段深く:楽章の代わりに「主題の変形」で時間を組み立てる

聴く側の時間の設計として見ると、2つの違いは時間の配り方の違いです。交響曲は、速い楽章、遅い楽章、軽い楽章と区切りを置き、楽章ごとの対比で聴き手の集中を配分します。

楽章の区切りが無い交響詩は、別の道具を使います。リストが用いたのは、主題の変形です。ひとつの主題を、新しい別の姿に作り変えながら、1本の流れの中で場面を移していきます。

リストの「レ・プレリュード」は、1楽章の曲です。序奏、愛、嵐、牧歌的な部分、凱旋的な終結といった局面をたどり、最後は冒頭と同じアンダンテ・マエストーソへ戻る円環の形をとります。題名はラマルティーヌの詩に結び付けられていますが、その結び付きは曲がほぼ出来上がってから加わったと説明されます。

切れ目が無いのは、拍手の作法だけでなく、曲の作り方そのものの違いです。1楽章の曲なら、楽章の合間でいつ拍手するか迷う場面も起きません。

よくある質問

Q. 交響詩は、題材を知らないと楽しめませんか

A. 知らなくても聴けます。スメタナの「モルダウ」は、ヴルタヴァ川が二つの水源から流れ出し、森や牧草地、プラハを通ってエルベ川に合流するまでを描いた曲です。川の流れを追うつもりで聴くと、曲の移り変わりに耳を預けやすくなります。

Q. 交響詩を最初に書いたのは誰ですか

A. 名付けたのはリストで、一般にジャンルの創始者とされます。ただし、セザール・フランクが1845年から1847年にかけて、ユゴーの詩に基づく管弦楽曲を書いていました。フランクはこの曲を出版も演奏もしなかったとされ、一般にはリストが創始者とされますが、フランクの曲を最初の交響詩とみる音楽学者もいます。

まとめ

交響曲は、楽章の対比で時間を組み立てる曲で、交響詩は、多くは1楽章の中で主題を作り変えながら、音楽の外にあるものを描く曲です。「交響」の名が指すのは、楽章の数ではなく、大きな流れを論理で組み立てる姿勢ではないか、というのが私の読みです。次に交響詩を聴くときは、同じ主題がどんな姿で戻ってくるかを探してみてください。

楽章のある曲との聴き比べは、交響曲の聴き方から始められます。

この記事を書いた人

小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。

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