標題音楽と聞くと、身構えてしまう方は多いのではないでしょうか。ベルリオーズの「幻想交響曲」には楽章ごとに物語めいた標題が付いていて、あらすじを頭に入れてからでないと聴いてはいけないような気がしてきます。予習が要る音楽、という印象です。
でも、演奏する側から見るとこの曲はもっと単純な作りをしています。物語を覚える必要はなく、ひとつの旋律が今どんな顔で出てきたかを聴き分けるだけで、筋はほとんど追えます。その旋律が「固定楽想(イデー・フィクス)」です。
幻想交響曲とは:まず1分だけ
「幻想交響曲」は、フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが書いた5楽章の交響曲で、1830年に初演されました。当時の交響曲は4楽章が標準でしたから、楽章がひとつ多いこと自体が異例です。各楽章には「夢、情熱」「舞踏会」「野の情景」「断頭台への行進」「ワルプルギスの夜の夢」という標題が付いています。作曲の背景には、ある女優への恋があったと伝えられていますが、この逸話は尾ひれが付いて流布している面もあり、ここでは深追いしません。
聴く側にとって大事なのは、作曲者の私生活ではなく作品の設計のほうです。この曲には、全5楽章を貫いて何度も姿を変えながら現れる旋律がひとつ置かれています。恋する女性の幻影をあらわすとされるその旋律が、固定楽想と呼ばれるものです。
固定楽想は、物語ではなく1本の糸
固定楽想は、楽章をまたいで繰り返し現れます。ただし、毎回そのままの形で出てくるわけではありません。速さが変わり、調が変わり、担当する楽器が変わり、伴奏の性格が変わります。つまり同じ人物が、場面ごとに違う服を着て現れるようなものです。
ここが、他の多くの交響曲との決定的な違いです。ふつうの交響曲では主題は楽章の中で完結し、楽章が変われば別の主題が立ち上がります。ところが幻想交響曲では、ひとつの旋律が最後まで出演し続けます。だから聴き手は、その旋律を追いかけるだけで「今どのあたりの話をしているのか」を掴めるのです。
耳の準備はひとつだけで足ります。第1楽章で、弦楽器が長めに歌う旋律が出てきます。あの形を覚えておけば、それ以降は変装していても気づけます。
5つの楽章で、固定楽想はこう変わる
楽章ごとの場面と、固定楽想がどんな顔で現れるかを並べてみます。
楽章 | 標題 | 場面 | 固定楽想の現れ方 |
|---|---|---|---|
第1楽章 | 夢、情熱 | 幻影との出会いと、揺れ動く心 | 本来の姿で提示される。ここが基準の形 |
第2楽章 | 舞踏会 | 華やかな舞踏会の場 | ワルツの流れの中に割り込むように現れる |
第3楽章 | 野の情景 | 牧歌的な田園と、遠くの雷鳴 | 穏やかな情景を乱す形で差し込まれる |
第4楽章 | 断頭台への行進 | 刑場へ引かれていく行進 | 終結の直前にわずかに顔を出し、断ち切られる |
第5楽章 | ワルプルギスの夜の夢 | 魔女たちの宴 | 装飾を付けて歪められ、品位を失った姿で現れる |
表を縦に眺めると、この曲が何をしているかが見えてきます。ひとつの旋律が、置かれる場所によって意味を変えられていきます。第1楽章では憧れの対象だったものが、第5楽章では嘲るような形に作り替えられています。旋律そのものより、旋律の扱われ方が物語を運んでいるのです。
断ち切られる旋律と、歪められた旋律
この作品の設計がもっとも鋭く出るのが、第4楽章の終わりです。行進が最高潮に達する直前、固定楽想が短く現れます。そして最後まで歌いきる前に、強烈な全奏で断ち切られます。旋律が完結しないという一点だけで、何が起きたのかが伝わる仕掛けです。
そのうえで第5楽章です。断ち切られたはずの旋律が、装飾をまとって戻ってきます。動きが細かくなり、音色が軽くなり、高貴さが剥がされた姿になっています。同じ材料のまま性格だけを裏返す手つきは、聴いていて背筋が寒くなります。
この楽章にはもうひとつ、外から持ち込まれた旋律があります。死者のためのミサで歌われてきたグレゴリオ聖歌「怒りの日(ディエス・イレ)」です。教会の旋律と、歪められた恋の旋律が同じ場に並びます。引用のもつ重みを、音楽の意味を反転させる道具として使っているわけです。同じ旋律が扱われ方で別物になるという点では、ベートーヴェン「運命」の冒頭4音の変容と近い発想がここにもあります。
一段深く:音色そのものを物語の道具にする
ベルリオーズがこの曲でやってのけたのは、旋律の変形だけではありません。音色の選び方そのものを、場面を語る手段にしています。第3楽章の田園の場では、コーラングレ(イングリッシュホルン)という、オーボエより低く少しくぐもった音色の楽器が歌います。そこへ舞台の外から別の楽器が応え、やがて応答が返ってこなくなります。距離と孤独が、旋律ではなく音の位置で書かれています。
音響を学んだ側から見ると、舞台の外に奏者を置くという発想は徹底しています。客席に届く音は、直接届く音と壁や天井で反射して届く音の混ざりものです。舞台袖に楽器を置けば直接音が減り、反射音の比率が上がるため、同じ楽器でも輪郭がぼやけて遠く聞こえます。ホールの響きそのものを楽譜の一部として使っているわけです。楽器配置と音響の関係を知っていると、この指定の意図が腑に落ちます。
吹く側・弾く側の実感としては、第5楽章の鐘とコル・レーニョが象徴的です。コル・レーニョは弓の毛ではなく木の部分で弦を叩く奏法で、音程よりも乾いた打撃音が前に出ます。弦楽器という「歌うための楽器」を、あえて骨の鳴るような打楽器に変えてしまう指定です。鐘も同じで、教会の音を舞台に持ち込むことで、聴き手の記憶のほうを動かしにきます。楽器を音の出る道具ではなく、意味を運ぶ道具として配置しているのです。
こうした大編成の色づかいは、後の作曲家が管弦楽で絵を描くときの土台になりました。絵画を音に置き換えたムソルグスキー「展覧会の絵」や、遠い故郷の情景を旋律で描いたドヴォルザーク「新世界より」と並べて聴くと、管弦楽が何を語れるようになっていったのかが見えてきます。
よくある質問
Q. 物語のあらすじを覚えてから聴いたほうがいいですか。
A. 覚えなくても十分に楽しめます。楽章の標題だけ頭の隅に置き、第1楽章で出てくる長めの旋律を耳に残しておけば、それが次にどんな顔で現れるかを追うだけで筋は追えます。細かい筋書きは、何度か聴いてから確かめても遅くありません。
Q. 固定楽想は、どのくらい形が変わるのですか。
A. 速さ・調・担当楽器・伴奏の性格が場面ごとに変えられ、第5楽章では装飾が加わって輪郭も変わります。それでも音の並びの骨格は保たれているため、一度覚えてしまえば変装していても気づけます。最初は分からなくても構いません。
Q. 大編成なので、聴きどころが散らばりませんか。
A. 編成は大きいのですが、耳を預ける先はひとつで足ります。固定楽想だけを追いかけ、それ以外の音は景色として浴びる聴き方がおすすめです。全部の楽器を聴き分けようとしなくて構いません。
まとめ
幻想交響曲は、予習が要る難しい曲ではありません。ひとつの旋律が全5楽章を旅して、置かれる場所によって憧れから嘲りへと意味を変えられていきます。その1本の糸を追うだけで、この曲の骨格はつかめます。次に聴くときは、第1楽章の旋律をひとつだけ覚えて、あとは変装を探すゲームのつもりで耳を預けてみてください。
この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
