“運命はこのように扉を叩く”——ベートーヴェンが交響曲第5番の、あの有名な冒頭の4音についてそう語った、という話を聞いたことはありませんか。作曲家自身が“運命の扉をノックする音”と説明した、というエピソードとしてよく紹介されます。ドラマチックで、一度聞いたら忘れられない話です。
でも、テューバ奏者としてこの曲を舞台の上から見てきた私の立場から言うと、この逸話をそのまま鵜呑みにするのは早計です。有名な言葉ほど、出どころを疑ってみる価値があります。そのことを、冒頭の4音がたどる4つの楽章を追いながら確かめていきましょう。
「運命」という呼び名:まず1分だけ
正式名称は交響曲第5番 ハ短調 作品67で、1808年にウィーンで初演されました。冒頭で鳴る“ソ・ソ・ソ・ミ♭”、短い音3つと長い音1つのリズムが、そのまま第一楽章の主題になり、姿を変えながら全曲を貫いていきます。この曲を「運命」と呼ぶ習わしは、交響曲というジャンルの中でも珍しいほど、日本語圏で特に定着した通称です。ドイツ語圏では単に「第五(die Fünfte)」と呼ばれることが多く、「運命」という呼び名がここまで浸透しているのは、日本での受け止められ方の特徴だとされています。
そして、あの“運命はこのように扉を叩く”という一節は、ベートーヴェンの弟子で秘書も務めたアントン・シントラーが伝えたとされる逸話です。シントラーは後年、ベートーヴェンとの会話記録に手を加えていたことが研究で明らかになっており、この逸話の信ぴょう性は高くないというのが現在の一般的な見方です。作曲家本人がそう語ったという確かな証拠は、実は残っていません。
第一楽章:動機がむき出しのまま突きつけられる
Allegro con brio、ソナタ形式で書かれています。冒頭の4音は前置きも装飾もなく、いきなり弦と管の全合奏で叩きつけられます。この動機はそのまま第一主題になり、伴奏にも展開部にも執拗に食い込んできます。同じ4音を何度も打ち込みながら曲を前へ進める書き方は、当時としては異例なほどの集中度でした。聴いているうちに“あ、また来た”と気づく回数が増えるほど、曲全体の輪郭が少しずつ見えてくる仕掛けです。
第二楽章:動機は歌の中に隠れて息をひそめる
Andante con moto、変奏曲の形をとっています。ここでは動機はむき出しの形では出てきません。変奏を重ねるたびに管楽器が挟み込む、付点のリズムを持つ力強い一節に、あの4音のリズムの面影が残っています。第一楽章ほど正体を主張しない分、聴き手が受け取るのは“さっきの曲に似た響きがある”といった、うっすらとした既視感です。姿を変えながらも消えていない、というのがこの楽章の役割です。
第三楽章:動機がホルンの合図として立ち上がる
スケルツォ、ハ短調で書かれています。冒頭でホルンが吹く上行する音型は、あの4音のリズムを裏返した親戚のような旋律です。中間部を経て、弦楽器がピツィカートで動機の断片を静かに繰り返しながら、音量を落として不穏な空気を作っていきます。そのまま切れ目なく——譜面には長い持続音とクレッシェンドだけが続くページがあり、聴き手は次に何が起きるか分からないまま音量が高まっていくのを味わうことになります——第四楽章へなだれ込みます。この橋渡しは、交響曲の歴史の中でも屈指の緊張の作り方だと私は思っています。
第四楽章:動機が勝利の音に生まれ変わる
Allegro、調はハ短調から一転してハ長調に変わります。ここでベートーヴェンは、それまでの交響曲になかった楽器を投入しました。トロンボーン、コントラファゴット、ピッコロという、当時の交響曲としては初めての編成拡張です。低い方にも高い方にも音域が広がり、オーケストラそのものが一回り大きく鳴るようになります。動機のリズムは形を変えながらも底に流れ続け、暗い調から光の方向へ、曲全体が舞台を移していきます。
一段深く:低音の椅子から見える景色
この交響曲にテューバは登場しません。テューバという楽器そのものが、ベートーヴェンが世を去ったあとに生まれた楽器だからです。それでも、日々低音を担当する立場から言うと、第四楽章で何が起きているかは肌で分かります。トロンボーンとコントラファゴットが加わった瞬間、それまで鳴っていなかった音域が下から支え始め、オーケストラの土台そのものが一段低く、一段太くなります。同じ和音を弾いていても、土台が変わると景色がまるで違って聞こえるのです。
これは、楽章の途中で楽器を足し算しただけの話ではありません。ベートーヴェンは、曲がどこへ向かうかという目的から逆算して、どの楽章にどの音域を持たせるかを設計しています。ベートーヴェンが交響曲というジャンルに何を持ち込んだかを振り返ると、既存の編成を疑い、必要な音を後から設計に組み込んでいく姿勢は、この曲に限った話ではないことが分かります。デザイン思考でいう“目的から設計しなおす”という発想を、200年以上前にすでに実践していた人だと、私はこの終楽章を聴くたびに思うのです。
よくある質問
Q. “運命はこのように扉を叩く”は結局、作り話なのですか?
A. 作り話と断定はできませんが、ベートーヴェン本人の発言だと確認できる記録は残っていません。伝えたとされるシントラーの証言は信ぴょう性が高くないとされているため、現在では“広く伝えられている逸話”として扱うのが妥当です。
Q. なぜ日本では「運命」という呼び名がここまで定着したのですか?
A. 単一の理由が特定されているわけではありませんが、分かりやすく力強い呼び名が明治期以降の紹介のされ方となじみ、教育の場や演奏会のプログラムを通じて広まったと考えられています。日本で特別な位置づけを持つベートーヴェン作品としては、年末の風物詩になった第九も同じ系譜にあります。
まとめ
“運命はこのように扉を叩く”という逸話を、鵜呑みにしなくても大丈夫です。むしろ確かなのは、冒頭のたった4つの音が、姿を変えながら4つの楽章すべてを歩き通しているという設計そのものです。次にこの曲を聴くときは、逸話の真偽よりも、4音がどこで顔を出し、どこに隠れているかを追いかけてみてください。曲の見え方が、ひとまわり立体的になるはずです。
この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
