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ヘルベルト・ブロムシュテットを偲んで|99年の生涯の年表と、日本との45年

ヘルベルト・ブロムシュテットを偲んで|99年の生涯の年表と、日本との45年

指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットが、2026年11月4日、スウェーデン・ヨーテボリの自宅で、家族に見守られて亡くなりました。99歳でした。所属事務所とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が発表しています。100歳の誕生日まで、あと8か月ほどでした。

70年を超えて指揮台に立ち続け、NHK交響楽団とは1981年から45年近く、200回を超える演奏会で共演を重ねた人です。この記事では、楽団や財団の公式発表と、LF CLASSIC に集まった国内外の報道をもとに、その生涯を年表にまとめ、日本との関わりをたどります。あわせて、筆者が客席で聴いてきたブロムシュテットと、最後に接した2024年12月のベルリンでの公演についても書き残します。

訃報と、最後の舞台

所属事務所の発表によると、ブロムシュテットは11月4日、ヨーテボリの自宅で家族に見守られ、安らかに息を引き取りました。死因は公表されていません。

指揮者として最後の舞台になったのは、2026年5月15日のサンフランシスコ交響楽団の演奏会です。演目はマーラーの交響曲第9番でした。報道によると、車椅子で舞台に現れ、第3楽章で体が傾いて演奏が数分間止まりました。続く2日間の公演は、デイヴィッド・ロバートソンが代わって指揮しました。

本人はのちに日本のファンに向けたメッセージで、5月にサンフランシスコで指揮をした際に重い感染症にかかったと書いています。そこから先の予定は、次々に取り消されました。

  • 5月:スウェーデン放送交響楽団とのマーラー交響曲第9番を降板(アラン・ギルバートが代役)
  • 6月:7月18日に予定されていたバンベルク交響楽団の99歳記念演奏会が中止
  • 6月29日:NHK交響楽団の10月公演への出演見合わせを発表
  • 8月:ゲヴァントハウス管弦楽団の9月の3公演を降板(マレク・ヤノフスキが代役)
  • 9月:2027年1月のサンフランシスコ交響楽団公演を降板(エリム・チャンが代役)

2027年7月の100歳の誕生日に向けては、各地で記念の演奏会が予定されていました。公式ページで確認できたものを挙げます。

  • 1月27・28日:パリ管弦楽団(フィルハーモニー・ド・パリ)。題は「Blomstedt 100」。ハイドンの交響曲第104番、シベリウスの交響曲第5番
  • 4月8・9・11日:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。題は「100歳の誕生日に寄せて」。ハイドンの交響曲第104番、ブルックナーの交響曲第6番
  • 6月18日:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーン・コンツェルトハウス)。シューベルトの交響曲「未完成」、ブルックナーの交響曲第7番
  • 7月9・11日:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の特別演奏会。ブルックナーの交響曲第5番。11日は100歳の誕生日の当日で、楽団は「100歳の誕生日を、ブルックナーの記念碑的な第5番で飾る」と案内していました

それらは実現しないことになりました。

生涯をたどる

アメリカで生まれ、北欧で育つ

ブロムシュテットは1927年7月11日、アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドで、スウェーデン人の両親のもとに生まれました。父はセブンスデー・アドベンチスト教会の牧師、母はピアニストです。2歳のときに一家でスウェーデンへ戻り、スウェーデンとフィンランドで育ちました。

ストックホルム王立音楽院とウプサラ大学で学んだのち、学びの場を広げます。ダルムシュタット夏期講習会で現代音楽に触れ、バーゼルのスコラ・カントルムではパウル・ザッハーのもとで古楽を学びました。指揮はイーゴリ・マルケヴィチ、ニューヨークのジュリアード音楽院でジャン・モレル、タングルウッドでレナード・バーンスタインに師事しています。1953年にはクーセヴィツキー指揮賞を受けました。

北欧の楽団を率いた時代(1954〜1982年)

1954年、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューしました。同じ年にノールショピング交響楽団の首席指揮者に就き、1962年まで務めています。1955年にはザルツブルク指揮者コンクールで優勝し、同じ年にヴァルトラウト(愛称トラウテ)・ペーターゼンと結婚しました。夫婦の生活は、2003年にヴァルトラウトが亡くなるまで続きました。

その後は北欧の主要な楽団を次々に率いました。

  • オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者(1962〜1968年)
  • デンマーク放送交響楽団 首席指揮者(1967〜1977年)
  • スウェーデン放送交響楽団 首席指揮者(1977〜1982年)

東独のドレスデンで(1975〜1985年)

1975年から1985年まで、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めました。当時のドレスデンは東ドイツです。西側で生まれ育った指揮者が、東独を代表する歴史ある楽団を10年にわたって率いました。

この時代には、旧東独のレーベル、ドイツ・シャルプラッテンにベートーヴェンとシューベルトの交響曲全集を録音しています。日本では2026年、キングレコードがドイツ・シャルプラッテン音源の配信を始め、この録音も対象に含まれています。9月にはベートーヴェンの交響曲第9番が配信されました。シュターツカペレ・ドレスデンは2016年5月、ブロムシュテットを名誉指揮者に迎えています。この称号を受けたのは、楽団の歴史で2人目でした。

サンフランシスコ時代(1985〜1995年)

1985年から1995年まで、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めました。在任中はデッカに録音を残し、ニールセンの交響曲全集もその一つです。オルフ「カルミナ・ブラーナ」とブラームス「ドイツ・レクイエム」の録音では、グラミー賞(最優秀合唱パフォーマンス)を受けています。退任後、楽団は桂冠指揮者(Conductor Laureate)の称号を贈っています。生涯最後の演奏会となった2026年5月の公演も、このサンフランシスコでのものでした。

ハンブルク、そしてライプツィヒへ(1996〜2005年)

1996年から1998年まで、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団(NDR)の首席指揮者を務めました。続いて1998年、クルト・マズアの後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第19代ゲヴァントハウスカペルマイスターに就任します。2005年まで務め、退任後は名誉指揮者として楽団との関係を保ちました。

ゲヴァントハウスでは、いわゆるドイツ式の楽器配置に戻したことが知られています。2017年には、楽団創立275周年を記念するヨーロッパとアジアの4週間のツアーを率いました。90歳を迎える年のことです。

首席を退いてからの客演(2005〜2026年)

首席のポストを離れてからは、世界の主要な楽団に客演を重ねました。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団には1976年から定期的に招かれ、バイエルン放送交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団などにも客演を重ねました。90歳を過ぎてからは、存命の指揮者の中で最も年長の現役として注目されました。

2022年に転倒しましたが、その後も指揮台に立ち続けました。2024年12月にはベルリン・フィルとブルックナーの交響曲第9番を、2026年4月には同じ楽団と第7番を指揮しています。

この間に受けた主な栄誉は次のとおりです。

  • 2016年:レオニー・ソニング音楽賞(デンマーク)
  • 2018年:旭日中綬章(日本)
  • 2019年:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 名誉団員
  • 2022年:ドイツ連邦共和国功労勲章 大功労十字星章
  • 2026年:第37回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)

名誉指揮者などの称号は、バンベルク交響楽団、NHK交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、スウェーデン放送交響楽団、デンマーク放送交響楽団、オスロ・フィルから贈られています。2026年3月には、キャリアの出発点であるノールショピング交響楽団が、楽団で初めての名誉指揮者に任命しました。

バンベルク交響楽団との関係

バンベルク交響楽団とは、首席指揮者などの正式なポストに就いたことは一度もありません。楽団の公式サイトによると、1982年に初めて指揮台に立ち、2006年に名誉指揮者の称号を受けました。共演はおよそ200回を数え、海外公演も重ねています。楽団の名誉指揮者は、オイゲン・ヨッフム、ホルスト・シュタインに続いて3人目でした。日本へもこの楽団と来ており、2012年と2016年の来日公演を指揮しています。

信仰と音楽

ブロムシュテットは、牧師だった父と同じセブンスデー・アドベンチスト教会の信仰を生涯守りました。この教会は、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日として休みます。ブロムシュテットもこの間はリハーサルをせず、楽譜も開きませんでした。

そのために仕事を失ったこともあったと、2012年のフィラデルフィア・インクワイアラー紙は伝えています。本人は「でもイエスは安息日を守った。私は彼のようでありたい」と語っています。

一方で、土曜日の本番は指揮しました。90歳のときの教会のニュースのインタビューでは、牧師の父が平日に説教を準備し、安息日の朝に語っていたことを思い出して、こう話しています。「私は一週間、楽譜を勉強し、オーケストラとリハーサルをする。金曜日に日が沈んだら、もう楽譜は勉強しない。でも、指揮台の上でオーケストラを前に説教をする。安息日だからといって、音楽を聴きたい人を拒むことはできない」。

ボストン・グローブ紙(2025年)によると、サンフランシスコでは、土曜日の演奏会は礼拝の行いなのだと楽団に伝えていたそうです。本人は「音楽そのものが、私にとって神聖なもの」と語っています。

暮らしぶりも信仰に沿ったものでした。NPR の訃報によると、酒、コーヒー、たばこ、肉を口にしませんでした。98歳のときにドイツの Die Welt 紙の取材を受けた際には、家族とともに菜食を続けていることを明かし、「動物を食べるという考えが嫌いだ」と話しています。ただ、それを人に勧めることはしなかったと、同紙は書いています。

同じ教会のインタビューで本人は、長寿の秘訣を聞かれると、みな「酒もたばこもやらない」という答えを期待している、でもそれは秘訣の一部にすぎない、と話しています。ボストン・グローブ紙は、サンフランシスコ時代の楽団員の思い出も紹介しています。大みそかに音楽監督から楽団員へ贈るシャンパンが、ブロムシュテットの代になってリンゴのスパークリング飲料に変わり、みな驚いたそうです。

楽譜だけが真実

楽譜への向き合い方は徹底していました。ベルリン・フィルのインタビューでは「結局のところ、楽譜だけが私たちの唯一の源であり、唯一の真実だ」と語っています。同じインタビューで、敬虔なカトリックだったブルックナーについては「彼の信仰は音楽なのだ」と述べ、宗教色を強く出しすぎない演奏を求めています。

暗譜で指揮することが多かったのは、若いころに師事したイーゴリ・マルケヴィチの影響だと本人は話しています。ザルツブルクの講習会では、受講生が楽譜を前に置くことを許されなかったそうです。「今でも、楽譜がいらないときにだけ自由を感じる」と語っています(ボストン・グローブ紙)。

80代になってからは、指揮棒も使わなくなりました。ウィーン・フィルとの演奏会で指揮棒を舞台裏に置き忘れ、取りに行かせずにそのまま指揮したところ、客席にいた友人たちに「いつもこうやって指揮するべきだ」と言われたのがきっかけです(同紙)。筆者が2024年にベルリンで見た、最小限の手の動きで大オーケストラを導く指揮も、指揮棒を手放してからの姿です。

本の収集家でもありました。集めた音楽書や楽譜、手稿の複製は、2010年から少しずつヨーテボリ大学図書館に寄贈されています。書架にしておよそ500メートル分あり、18世紀の楽譜の貴重なコレクションも含まれます。趣味で集めた絵はがきと切手のコレクションも、一緒に収められています。

ゲヴァントハウス管弦楽団は訃報の中で、本人の言葉を紹介しています。「音楽が語るべきだ。音楽ができるだけ多くを語り、私ができるだけ語らないことが、自分の務めだと思っている」。将来に何を残したいかと聞かれたときには、ただひとこと「友人たち」と答えたそうです。

詳細年表

年

出来事

1927年7月11日

アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドで、スウェーデン人の両親のもとに生まれる

1929年ごろ

2歳で一家とスウェーデンへ戻る。スウェーデンとフィンランドで育つ

青年期

ストックホルム王立音楽院、ウプサラ大学で学ぶ

修業時代

バーゼルでパウル・ザッハーに古楽を、ジュリアード音楽院でジャン・モレルに指揮を学ぶ

1953年

タングルウッドでレナード・バーンスタインに学ぶ。クーセヴィツキー指揮賞

1954年

ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー

1954〜1962年

ノールショピング交響楽団 首席指揮者

1955年

ザルツブルク指揮者コンクールで優勝。ヴァルトラウト・ペーターゼンと結婚

1960年3月21日

オスロ・フィルハーモニー管弦楽団を初めて指揮

1962〜1968年

オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者

1967〜1977年

デンマーク放送交響楽団 首席指揮者

1975〜1985年

シュターツカペレ・ドレスデン 首席指揮者

1976年

このころからベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に定期的に客演

1977〜1982年

スウェーデン放送交響楽団 首席指揮者

1981年11月13日

NHK交響楽団を初めて指揮(第853回定期公演、NHKホール)

1982年

バンベルク交響楽団を初めて指揮

1985〜1995年

サンフランシスコ交響楽団 音楽監督。退任後は桂冠指揮者

1986年1月

NHK交響楽団 名誉指揮者

1996〜1998年

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 首席指揮者

1998〜2005年

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 第19代ゲヴァントハウスカペルマイスター。退任後は名誉指揮者

2003年

妻ヴァルトラウトが死去

2006年

バンベルク交響楽団 名誉指揮者

2012年11月

バンベルク交響楽団と来日。11月3日にアクロス福岡シンフォニーホールでベートーヴェンの交響曲第7番、ブルックナーの交響曲第4番

2014年9月

NHK交響楽団の定期公演3本(第1787〜1789回)で、モーツァルトとチャイコフスキーの後期3大交響曲を組み合わせて指揮。9月13日にはいわき定期演奏会にも出演

2014年

NHK交響楽団の定期公演で、東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートとして指揮(日本美術協会の紹介による)

2016年

レオニー・ソニング音楽賞。5月、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者。12月、NHK交響楽団 桂冠名誉指揮者

2016年10〜11月

バンベルク交響楽団と来日(福岡・宮崎・愛知・東京・京都。独奏 諏訪内晶子)

2017年

ゲヴァントハウス管弦楽団創立275周年のヨーロッパ・アジア・ツアーを90歳で指揮

2018年

旭日中綬章。自伝の日本語版『音楽こそわが天命』を刊行

2019年

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 名誉団員

2022年

ドイツ連邦共和国功労勲章 大功労十字星章。転倒で数か月休養し、秋に復帰

2024年12月19〜21日

ベルリン・フィルとモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(独奏 レイフ・オヴェ・アンスネス)、ブルックナーの交響曲第9番

2025年10月18・19日

NHK交響楽団 第2046回定期公演(ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」、メンデルスゾーン 交響曲第2番「讃歌」)

2025年10月25日

NHK交響楽団 第2047回定期公演の2日目(ブラームスのピアノ協奏曲第2番と交響曲第3番)。N響との最後の共演

2026年3月

ノールショピング交響楽団の初の名誉指揮者に

2026年4月23〜25日

ベルリン・フィルとブルックナーの交響曲第7番。ベルリンでの最後の舞台

2026年5月15日

サンフランシスコ交響楽団とマーラーの交響曲第9番。生涯最後の演奏会

2026年5月29日

スウェーデン放送交響楽団が、本拠地ベルワルドホールに本人のブロンズの胸像を設置

2026年6月29日

NHK交響楽団の10月公演への出演見合わせを発表

2026年7月11日

99歳の誕生日

2026年9月8日

第37回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)の受賞が発表される

2026年10月28日

世界文化賞の授賞式(東京・明治記念館)。健康上の理由で来日できず、スウェーデン王立音楽アカデミー会長が代理でメダルを受け取る

2026年11月4日

ヨーテボリの自宅で死去。99歳

日本との関わり

N響との45年

ブロムシュテットがNHK交響楽団の指揮台に初めて立ったのは、1981年11月13日の第853回定期公演(NHKホール)です。ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、堀米ゆず子の独奏によるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲などを指揮しました。

1986年1月にN響の名誉指揮者となり、2016年12月には桂冠名誉指揮者の称号を受けました。N響の発表によると、共演は200回を超えます。

日本美術協会の紹介によると、2014年には東日本大震災の復興支援のため、チャリティーコンサートとしてN響の定期公演を指揮しています。

98歳の来日と、ファン投票の第1位

結果として最後の来日になったのは、2025年10月です。98歳でした。10月18・19日の第2046回定期公演では、スウェーデン放送合唱団を迎えて、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」とメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」を指揮しました。翌週の第2047回定期公演では、レイフ・オヴェ・アンスネスとブラームスのピアノ協奏曲第2番、続けて交響曲第3番を演奏しています。N響によると、10月25日の第2047回の2日目が、N響との最後の共演になりました。

N響が2026年11月2日に発表したファン投票「最も心に残ったN響コンサート2025-26」では、この10月の第2046回定期が第1位に選ばれています。亡くなる2日前のことでした。

果たせなかった2026年10月の来日

2026年10月にも、N響との公演が予定されていました。10月17・18日の定期公演でブルックナーの交響曲第5番を、10月30日のブラームス交響曲全曲演奏会の初日を指揮するはずでした。

N響は6月29日、医師から長距離の空路移動を当面避けるよう強く勧められたとして、来日の見合わせを発表しました。定期公演はカバーコンダクターのマティアス・バーメルトが、ブラームスの初日は2日目を担当するクリストフ・エッシェンバッハが、曲目を変えずに指揮しました。

同じ日、本人のメッセージも公表されました。東京で愛するオーケストラと演奏できなくなったことを残念に思うと書き、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの音楽はこれからも私たちに喜びを与えてくれる、心の中でみなさんと共にある、と結んでいます。

旭日中綬章と世界文化賞

2018年の春の叙勲で、日本の音楽文化の向上と発展に寄与した功績により、外国人叙勲として旭日中綬章を受けました。

2026年9月8日には、公益財団法人日本美術協会が主催する第37回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門の受賞者に選ばれました。10月28日に東京・元赤坂の明治記念館で授賞式が開かれましたが、本人は健康上の理由で来日できませんでした。スウェーデン王立音楽アカデミー会長のステーファン・フォルシュベリが、代理で顕彰メダルを受け取っています。授賞式から1週間後に、訃報が届きました。

N響の追悼

訃報を受けて、N響は11月5日に公式のSNSで追悼の言葉を発表しました。音楽への尽きることのない探究心、楽譜に真摯に向き合う姿勢、オーケストラと聴衆に注いだ深い愛情を挙げ、そのすべてが楽団にとってかけがえのない財産だと記しています。

筆者が客席で聴いたブロムシュテット

筆者が初めてブロムシュテットを聴いたのは、2012年11月3日、アクロス福岡シンフォニーホールでのバンベルク交響楽団の来日公演でした。曲はベートーヴェンの交響曲第7番と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」です。その後はNHK交響楽団をはじめ、さまざまな楽団との演奏会で何度も客席に座りました。

なかでも忘れられないのは、東京に出てきて間もない2014年9月の、N響の定期公演です。モーツァルトの後期3大交響曲とチャイコフスキーの後期3大交響曲を、3つのプログラムに1曲ずつ組み合わせるという企画でした。

  • 第1787回定期公演 Bプログラム(9月10・11日、サントリーホール):モーツァルト 交響曲第39番、チャイコフスキー 交響曲第4番
  • 第1788回定期公演 Cプログラム(9月19・20日、NHKホール):モーツァルト 交響曲第40番、チャイコフスキー 交響曲第5番
  • 第1789回定期公演 Aプログラム(9月27・28日、NHKホール):モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」、チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

録音では、シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を何度も繰り返し聴きました。最近よく聴いていたのは、ゲヴァントハウス管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲全集です。

ベルリンで聴いた最後の実演

筆者が最後にブロムシュテットの実演に接したのは、2024年12月19日、ベルリンのフィルハーモニーで開かれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演でした。97歳のときです。同じプログラムが19日から21日まで3晩続き、筆者が聴いたのはその初日です。

前半はレイフ・オヴェ・アンスネスの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番 ニ短調、休憩をはさんで後半はブルックナーの交響曲第9番 ニ短調でした。ニ短調の作品2曲を組んだプログラムです。後半のブルックナー第9番は、作曲者が完成させられないまま残した交響曲です。この日のホルンは、ユン・ゼンが1番を吹き、シュテファン・ドールはワーグナーチューバを受け持っていました。

手の動きは最小限でした。それでも、オーケストラ全体が向かう音楽の方向は的確に示されていて、ベルリン・フィルの圧倒的な音響を最後まで手の内に収めていました。ときおり崩れそうになる箇所もありましたが、そこはオーケストラが全力で支えていました。指揮者と楽団の信頼関係の厚さと、音楽そのものへの深い畏敬の念を感じる演奏でした。

2024年12月19日、ベルリン・フィルハーモニーでのカーテンコール。指揮台の椅子に座ったブロムシュテットに、立ち上がった楽団員と客席が拍手を送っている

2024年12月19日、ブルックナーの交響曲第9番の終演後。指揮台の椅子に座ったまま、楽団員と客席の拍手に応えるブロムシュテット(筆者撮影)。

楽団員が舞台を去った後、客席の通路を退場しながら手を振るブロムシュテットと、立ち上がって拍手を続ける聴衆

楽団員が舞台を去った後も、拍手はやみませんでした。ベルリン・フィルのホルン奏者シュテファン・ドールに付き添われて退場しながら、客席に手を振って応えていました(筆者撮影)。

ベルリン・フィルとの共演はその後も続き、2026年4月23日から25日には、ブルックナーの交響曲第7番だけのプログラムを指揮しています。それがベルリンでの最後の舞台になりました。

名演と評される録音

ブロムシュテットの録音は数多くあります。ここでは、評価の高いものと、本文に関わるものを挙げます。評はそれぞれの出典からの引用です。

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(シュターツカペレ・ドレスデン、1981年9月)

ドレスデン時代に Denon(日本コロムビア)が録音したものです。英国のレビューサイト MusicWeb International は「優れた、作品の語法にかなった演奏」と評し、米国の Audiophile Audition は、3種あるブロムシュテットの第4番の録音のうち、このドレスデン盤が「多くの方面で推される」と書いています。現在は、1980年録音の第7番と組んだMDG の2枚組で手に入ります。第7番の録音も、MusicWeb International が「コレクターの間で伝説的」と書いたものです。

ベートーヴェン:交響曲全集(ゲヴァントハウス管弦楽団、2014〜2017年)

ゲヴァントハウスでのライヴ録音で、90歳を記念して2017年にAccentus Music から発売されました。ドイツの音楽誌 Crescendo は「ベートーヴェンの交響曲がこれほど厳格で、力強く流れ、緊張に満ちて響いたことはまれだ」と評しています。

ブルックナー:交響曲全集(ゲヴァントハウス管弦楽団、2005〜2012年)

ゲヴァントハウスでのライヴ録音による全9曲です。初出は Querstand で、2023年に Accentus Music から再発売されました。MusicWeb International は2023年の評で、ドレスデン時代の第4番と比べても新しい録音は「別の次元にある」と書いています。

R.シュトラウス:交響詩集(シュターツカペレ・ドレスデン、1987〜1989年)

「ツァラトゥストラはこう語った」「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「死と変容」などを収めています。MusicWeb International は評で「これらの演奏は古典だ」と書いています。

オルフ「カルミナ・ブラーナ」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」(サンフランシスコ交響楽団)

どちらもデッカへの録音で、グラミー賞を受けています。「カルミナ・ブラーナ」(1990年録音)は第35回の最優秀合唱パフォーマンス、「ドイツ・レクイエム」は第38回の最優秀合唱パフォーマンスです。

ニールセン:交響曲全集(サンフランシスコ交響楽団、1987〜1989年)

サンフランシスコ時代にデッカへ録音した全集で、現在はデッカのセットで手に入ります。

そのほか

  • シュターツカペレ・ドレスデンとのベートーヴェン、シューベルトの交響曲全集。日本では2026年からキングレコードが配信
  • バイエルン放送交響楽団とのブルックナー交響曲第9番(2009年5月の録音、リハーサル付き。BR-Klassik、2026年発売)
  • バイエルン放送交響楽団とのブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」(2014年2月の演奏とリハーサル。BR-Klassik、2026年発売)

本

日本語で読める本としては、自伝『音楽こそわが天命 ヘルベルト・ブロムシュテット自伝[増補新版]』(アルテスパブリッシング)があります。聞き手はユリア・スピノーラ、訳は力武京子、日本語版監修は樋口隆一です。2018年に出た日本語版に、2025年春の対話を第9章として加えています。

世界からの追悼

訃報を受けて、ゆかりの楽団や団体が次々に追悼の言葉を発表しました。公式の発表を一覧にします。

報道を通じて伝えられた言葉もあります。AP 通信の配信記事によると、2027年6月に共演を予定していたウィーン・フィルの楽団長ダニエル・フロシャウアーは「最後まで、100歳の誕生日を一緒に演奏会で祝えることを願っていた」と述べました。ピッツバーグ交響楽団の音楽監督マンフレート・ホーネックは「最も偉大な指揮者の一人であり、人間性の灯台だった」と語っています。

ドイツ、フランス、スペイン、アメリカ、イギリスの音楽メディアも一斉に訃報を伝え、ドイツの BR-Klassik やフランスの France Musique は追悼の放送を予定しています。

LF CLASSIC の関連記事

LF CLASSIC(musicnews.lflc.jp)には、ブロムシュテットに触れた記事が150本を超えて集まっています。そのうち主なものを挙げます。

訃報

日本との関わり

晩年の録音と本

2026年の降板

(文・一般社団法人LFコンサート 代表 小林 悠真)

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