レクイエムと聞いて、暗く重い曲を思い浮かべませんか。「人の死を悼む、悲しい音楽」——たしかに間違いではありません。でも、テューバ奏者としてこの言葉を持つ曲を何度も演奏してきた私からすると、その理解だけでは半分しか合っていません。レクイエムは、“暗いだけ”の音楽ではありません。
レクイエムとは? ― まず1分で
レクイエムとは、カトリック教会で死者のために捧げるミサ(鎮魂ミサ)、またはそのミサ典礼文に作曲された音楽のことです。名前の由来は、ミサの冒頭で歌われる「Requiem aeternam dona eis, Domine(主よ、彼らに永遠の安息を与えたまえ)」という一節。requiemはラテン語で「安息」を意味します。
日本語では「鎮魂曲」と訳されることが多いのですが、じつはここに小さなずれがあります。「鎮魂」はもともと、荒ぶる魂を鎮めるという意味合いの言葉。一方でレクイエムが祈っているのは、死者の魂を鎮めることではなく、永遠の安息と救いを神に願うことです。恐れを鎮める曲ではなく、希望を願う曲。この違いが分かると、レクイエムの聴こえ方が変わってきます。
“暗いだけ”じゃない ― 三人の作曲家が選んだ三つの答え
同じ「死者のためのミサ典礼文」という素材を使っても、作曲家によって出来上がる音楽はまったく違います。クラシックの世界で特によく演奏される三つのレクイエムを並べてみると、その振れ幅の大きさに驚くはずです。
モーツァルト ― 未完のまま遺した“最後の音”
モーツァルトの『レクイエム ニ短調 K.626』は、彼が生涯最後に手がけた作品です。1791年、匿名の依頼人(実際は伯爵フランツ・フォン・ヴァルゼック。亡き妻のために、自分の作品として発表するつもりでした)から依頼を受けて作曲に取りかかりましたが、完成を待たずにモーツァルト自身が世を去ります。残りは弟子のジュスマイヤーが引き継いで補筆し、今日演奏される形になりました。作曲家が自分の死を前にして、死者のための曲を書き切れなかった——この巡り合わせ自体が、この曲を単なる悲劇ではなく、人の生と死の境界そのものを響かせる音楽にしています。
ヴェルディ ― “僧服をまとったオペラ”と呼ばれた劇的な祈り
オペラ作曲家ヴェルディが1874年に書いた『レクイエム』は、まったく違う顔を見せます。イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニを追悼して作られたこの曲は、恐怖の裁きを歌う「怒りの日(Dies irae)」で、大太鼓と全合奏が地響きのように鳴り渡ります。指揮者ハンス・フォン・ビューローが初演当時「僧服をまとったオペラ」と皮肉ったほど、劇場的で人間くさい迫力を持っています(ビューロー自身、後年はこの曲を高く評価するようになりました)。祈りの言葉を、オペラ作曲家らしい感情のドラマとして描き切った一曲です。
フォーレ ― “怖くないレクイエム”という設計
そしてフォーレの『レクイエム 作品48』は、さらに違う方向へ進みます。フォーレはこの曲で、多くのレクイエムが劇的に描く「怒りの日」をほとんど採用せず、代わりに「楽園にて(In Paradisum)」という、天に迎え入れられる場面を丁寧に描きました。フォーレ自身、死を恐怖としてではなく、穏やかな解放として見ていた、という趣旨の言葉を残しています。恐れさせるためではなく、安らがせるための音楽。同じレクイエムという名でも、目指す場所がまったく違うのです。
設計思考で見るレクイエム ― 同じ言葉、違う目的
三人の作曲家は、ラテン語の典礼文という同じ“素材”を渡されています。それなのに、出来上がった音楽はここまで違います。私はこれを、演奏を“目的から設計しなおす”仕事だと捉えています。モーツァルトは死を前にした人間の姿を、ヴェルディは裁きの劇的な緊張を、フォーレは残された者への慰めを——それぞれが「この曲は誰に、何を届けるためのものか」を自分なりに定義し直した結果が、あの響きの違いになっています。
私自身、低音楽器の奏者としてこの言葉に思い入れがあります。モーツァルトのレクイエムには「Tuba mirum spargens sonum(妙なるラッパの音が鳴り渡り)」という有名な一節があり、ここでの“tuba”はラテン語で本来「らっぱ」全般を指す言葉で、現代のチューバとは別物です。演奏会のたびに客席から「これ、あなたの楽器の名前の由来ですか」と聞かれるのですが、答えは半分イエス、半分ノー。言葉は同じでも、時代が変われば指すものが変わります。レクイエムそのものと同じで、同じ名前の中に、まったく違う中身が入っているのです。
よくある質問
Q. レクイエムと普通のミサ曲は何が違うの?
A. 通常のミサ曲にある「グローリア(栄光の賛歌)」などの祝祭的な部分がなく、代わりに死者のための「怒りの日」や「永遠の光を(Lux aeterna)」といった項目が加わります。祈りの目的が「礼拝」ではなく「死者のための安息の祈り」であることが構成の違いに表れています。
Q. レクイエムは宗教的な場でしか演奏できないの?
A. いいえ、コンサートホールで演奏されることが今では一般的です。宗教儀式そのものでなくても、静かに祈るような時間を客席と共有できる音楽として、多くのオーケストラや合唱団が定期演奏会で取り上げています。
まとめ
レクイエムは、“暗いだけ”の音楽としなくていいのです。同じ祈りの言葉から、モーツァルトは生と死の境界を、ヴェルディは劇的な緊張を、フォーレは静かな慰めを設計しました。次にレクイエムを聴く機会があったら、まずはその作曲家が「何を届けたかったのか」を想像しながら耳を傾けてみてください。同じ“レクイエム”という言葉の中に、こんなに違う祈りが入っていることに、きっと驚くはずです。
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この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
