毎年9月12日になると、世界中のテューバ吹きが同じことを言い出します。「今日はテューバの誕生日だ」と。国際テューバ・ユーフォニアム協会(ITEA)の公式アカウントも、毎年この日に「Happy Birthday to the TUBA」と投稿しています。日本でも2026年9月、ヤマハの公式アカウントが同じ話題を日本語で紹介しました。
由来は、1835年にプロイセンで出されたバスチューバの特許です。金管楽器の中で、テューバだけが「生まれた年」をはっきり名指しできる楽器なのです。
先週がその9月12日でした。せっかくなので、テューバという楽器がどこから来て、どうやって今の姿になったのかを、一度まとめて書いておきます。初めて名前を知った方にも、もう20年吹いている方にも、それぞれ持ち帰るものがあるように書いたつもりです。
確認できた事実には出典を付けました。逆に、調べたけれど裏が取れなかったことは「確認できなかった」と書いています。テューバの歴史には、有名な話なのに一次資料まで遡ると揺れているものが、思ったより多くありました。
目次
- なぜ9月12日が「テューバの誕生日」なのか
- 1835年、テューバはなぜ生まれたのか
- 生まれてから、オーケストラの椅子に座るまで
- 日本にテューバが来るまで
- いま世界にあるテューバの種類
- 楽器の地位を変えた奏者たち
- いま世界の第一線で吹いている人たち
- 日本のテューバ奏者
- テューバが主役になる曲
- オーケストラの中のテューバ
- 初心者のための豆知識
- マニアでも知らないかもしれない話
- 参考にした資料
なぜ9月12日が「テューバの誕生日」なのか
1835年、プロイセンで「クロマティッシェ・バス・トゥーバ(半音階のバステューバ)」の特許が認められました。この特許にちなんで、9月12日がテューバの誕生日とされています。
ただし、ここで正直に書いておきたいことがあります。これは公的に制定された記念日ではありません。日本記念日協会に登録された記念日を探しても、「テューバの日」は見つかりません。英語圏のテューバ愛好家のあいだで自然に広まった“お誕生日”で、そこにITEAのような専門団体やヤマハのような楽器メーカーが乗っている、というのが実態に近い言い方です。個人のブログでこの話が書かれている例は2014年まで遡れるので、少なくとも10年以上は続いている習慣です。
もうひとつ、混同されやすいものがあります。「国際テューバの日(International Tuba Day)」は別物です。こちらは1979年にアメリカの高校生が「バンドの中でテューバ吹きが軽く扱われる」ことへの抗議として言い出したもので、日付は5月の第1金曜。9月12日とは由来も時期もまったく違います。
そして日付そのものにも、実は少し込み入った事情があります。これは最後の「マニアでも知らないかもしれない話」で扱います。
1835年、テューバはなぜ生まれたのか
特許を取ったのは2人です。プロイセン軍楽隊の楽長だったヴィルヘルム・フリードリヒ・ヴィープレヒト(1802–1872)と、楽器製作者のヨハン・ゴットフリート・モーリッツ(1777–1840)。軍楽の現場を仕切る人と、金属を曲げる人の組み合わせです。
なぜその時期だったのか。答えは「バルブが実用になったから」です。
それ以前、金管楽器は管の長さが決まっていて、出せる音は倍音列の上にしかありませんでした。低い音域では倍音どうしの間隔が広いので、低音金管は「音階が吹けない楽器」だったのです。
当時その役割を担っていたのがセルパンとオフィクレイドでした。セルパンは16世紀末ごろにさかのぼるとされる、蛇のようにうねった木製の管に指孔を開けた楽器。オフィクレイドは1817年にフランスのアステが特許を取った、キー仕掛けの金管です。どちらも管に開けた穴を指やキーでふさいで音程を作る、木管に近い発想でした。音程も音色も安定させるのが難しい楽器です。
そこへバルブ機構が登場します。ヴィープレヒトは1835年の2年前、1833年に「ベルリン式バルブ(ベルリーナ・プンペン)」を考案したとされます。それ以前のバルブよりも管の内径を太くできる方式で、これが低音楽器には決定的でした。太い管をバルブで切り替えられるようになって初めて、低音域を半音階で自在に動ける金管が成立したのです。
最初のテューバは、12フィート(約3.7メートル)のF管に、ベルリン式バルブを5本備えていました。いきなり5本です。既存の楽器を改良したのではなく、「低音を安定して支える金管が要る」という目的から設計し直した楽器なので、最初から必要な数だけ付いていた、と考えると腑に落ちます。
生まれてから、オーケストラの椅子に座るまで
生まれた場所が軍楽隊だったので、テューバはまず軍楽隊で広まりました。オーケストラに入るには、作曲家に見つけてもらう必要があります。
最初に強く反応した一人がベルリオーズでした。ドイツへの演奏旅行でこの新しい楽器を知り、関心を持ちます。『幻想交響曲』はもともとオフィクレイド2本のために書かれていましたが、テューバを知った後にオーケストレーションが変更され、版によってオフィクレイドとテューバの両方が存在する状態になりました。
オペラでの初期の採用例としては、ワーグナー『さまよえるオランダ人』(1843年)が挙げられます。発明から10年経っていません。新しい楽器としては、かなり速い採用です。
そのワーグナーが、話をややこしくする楽器も作らせます。ワーグナーチューバです。『ニーベルングの指環』のために、ホルンとトロンボーンのあいだを埋める音色が欲しくて考案させたもので、ブルックナーの交響曲第7番・第8番、R.シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』、ストラヴィンスキー『春の祭典』などで使われます。
ここが大事なところなので、はっきり書きます。ワーグナーチューバは、テューバではありません。ロータリーバルブを持ち、ホルン用の円錐形マウスピースを使い、吹くのはホルン奏者です。
構造的にはホルンの一族で、ベルが上を向いている点がホルンと違います。名前だけが紛らわしいのです。この楽器が使われる主要なオーケストラ曲は50作に満たないとされ、ホルン奏者が持ち替えで対応します。
一方、テューバ本体のほうも枝分かれしていきます。1850年代にはアドルフ・サックスがE♭管・B♭管のコントラバス・サクスホルンを開発し、これが英国式ブラスバンドの標準になりました。1870年代にはチェルヴェニーが16フィートのC管、18フィートのB♭管といった、より低いコントラバステューバを作ります。いま私たちが「テューバ」と呼んでいるものの多様さは、この19世紀後半の枝分かれの結果です。
バスチューバ(E♭/F管)とコントラバステューバ(B♭/C管)という呼び分けが、業界の中ですら揺れているのも、こうした事情によります。楽器の歴史がまだ200年に届かないので、名前が固まりきっていないのです。
日本にテューバが来るまで
ここは、正直に書かなければならない節です。
「テューバが日本にいつ、どの経路で初めて持ち込まれたか」を特定できる資料に、私は到達できませんでした。調べた範囲では、テューバという楽器を名指しした最初の記録が見つかりません。なので、日本の軍楽隊の受容史という大きな流れの中に置くところまでにとどめます。
日本で最初に吹奏楽が鳴ったのは1853年、ペリー来航に同行した軍楽隊の演奏だとされています。本格的な始まりは明治に入ってからで、明治2年(1869年)に薩摩藩の青年30人がイギリス陸軍歩兵軍楽隊の指導を受けたのが日本の軍楽隊の出発点とされます。明治4年(1871年)には陸軍と海軍にそれぞれ軍楽隊が置かれました。
興味深いのは、明治3年にイギリスのベッソン社から楽器一式が届いたときの記録です。伝習隊員が練習を始めた楽器として挙がるのは、クラリネット、コルネット、トロンボーン、ピッコロなど。テューバの名前は出てきません。これが「まだ無かった」のか「記録に残らなかっただけ」なのかは、この資料からは分かりません。
国産楽器の話をすると、ヤマハ(日本楽器製造)の創業は1887年、山葉寅楠がオルガンの修理をきっかけに製作へ踏み出したところから始まります。ただし管楽器の製造に本格的に乗り出すのは1960年代で、かなり後のことです。
日本語で「チューバ」という表記が定着した経緯も、確かな資料には当たれませんでした。奏者のあいだでは「テューバ」と書く習慣が強く、一般には「チューバ」が優勢という、ねじれた状態が今も続いています。
いま世界にあるテューバの種類
「テューバ」と一言で言っても、中身はかなり違います。まず調で4種類あります。
調 | 管の長さ | 位置づけ |
|---|---|---|
F管 | 12フィート | バステューバ。独奏や室内楽で使われることが多い |
E♭管 | 13フィート | バステューバ。英国式ブラスバンドの標準 |
C管 | 16フィート | コントラバステューバ。アメリカのオーケストラで主流 |
B♭管 | 18フィート | コントラバステューバ。日本の吹奏楽でおなじみ |
次にバルブの方式で分かれます。ピストン式とロータリー式です。ピストン式はさらに、右手で上から縦に押すトップアクション(イギリス・フランスで好まれ、ベルは右側)と、右手を正面に構えるフロントアクション(アメリカで好まれ、ベルは左側)に分かれます。ロータリー式はドイツ・オーストリア・ロシアで主流で、ベルは左側です。
つまり、国が違うと楽器の向きも持ち方も違います。ロータリーバルブは1835年にプロイセンでヨーゼフ・リードルが、ピストンバルブは1839年にフランスのフランソワ・ペリネが特許を取ったとされ、後者がベルリン式バルブに取って代わっていきました。
バルブの本数はプロ用で4〜5本が多く、3〜6本まであります。第4バルブは完全4度(半音5つ分)下げるもので、低音域の音程を整えるために使います。
ここにコンペンセイティング機構という仕掛けが加わることがあります。第4バルブを使ったときに、第1〜3バルブの追加分岐管にも空気を通して、複数バルブを組み合わせたときの音程のズレを自動的に補正する仕組みです。指づかいが単純になり、抜差管を動かす手間も減ります。ただし息の通りが重くなるという代償があり、そこが好き嫌いの分かれ目になります。
このあたりは、感覚で語られがちな話です。私は別のシリーズで、こうした通説を音響計算で一つずつ確かめるテューバ奏者の自習室という連載をやっていて、「バルブ区間を太くすると本当に息は通りやすくなるのか」といった問いを実際に計算しています。興味があれば覗いてみてください。
最後に、親戚筋の楽器を整理しておきます。
- ユーフォニアム:B♭管(9フィート)で、F管バステューバの4度上。イギリスの作曲家は「テナーチューバ」と呼ぶことがあります
- スーザフォン:1893年にジョン・フィリップ・スーザが考案した、肩に担ぐマーチング用のテューバ。ヘリコンの改良型として J.W. Pepper 社が製作しました
- ヘリコン:マーチング用に作られ、1848年に最初の特許
楽器の地位を変えた奏者たち
テューバは若い楽器です。だから「この人がいなければ今の姿になっていなかった」という奏者が、まだ具体的に名指しできます。
独奏楽器としてのテューバを作った人たち
フィリップ・カテリネット(Philip Catelinet, 1910–1995)。1954年6月13日、ロイヤル・フェスティバル・ホールで、サー・ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団とともに、ヴォーン・ウィリアムズ『バス・テューバ協奏曲』の世界初演を行いました。ロンドン交響楽団の創立50周年記念コンサートで、作曲家本人が客席にいました。翌日には同じメンバーでEMIに録音もしています。
独奏テューバのために書かれた世界初の協奏曲が、この日に鳴ったわけです。本人が後年ITEA Journalに初演の経緯を寄稿していて、その全文が公開されています。
ハーヴェイ・フィリップス(Harvey Phillips, 1929–2010)。生涯で200作以上のテューバ作品を委嘱し、「独奏楽器としてのテューバ」を押し上げた運動の中心人物です。1974年にはTubaChristmasを創始しました。クリスマスにテューバ吹きが大量に集まって合奏するというあの行事は、この人が始めたものです。
ロジャー・ボボ(Roger Bobo, 1938–2023)。1961年、カーネギー・ホールでテューバの独奏リサイタルを行った史上初の奏者です。ロサンゼルス・フィルハーモニックで25年間演奏し、2001年に演奏活動から退きました。オーケストラの一番下を支える楽器でも、一人で舞台に立って演奏会を持たせられます。それを最初に証明した人です。
教える側から系譜を作った人たち
アーノルド・ジェイコブス(Arnold Jacobs, 1924–1999)。シカゴ交響楽団の首席テューバ奏者を長く務めました。この人の本当の影響力は、演奏そのものより指導にあります。呼吸と発音についての独自の理論を確立し、ノースウェスタン大学で教え、20世紀でもっとも影響力のある金管指導者の一人とされています。テューバに限らず、いま金管楽器のレッスンで語られる呼吸の話の多くは、この人のところへ遡ります。
その教授法が現在どう受け継がれているかを調べた学位論文もあります(Rowsell, 2018, トロント大学)。全文が無料で読めるので、関心のある方はどうぞ。
ウィリアム・ベル(William Bell, 1902–1971)。シンシナティ交響楽団首席からニューヨーク・フィルハーモニック首席へ。1955年にはヴォーン・ウィリアムズの協奏曲のアメリカ初演を行っています。インディアナ大学教授としてハーヴェイ・フィリップスを育てました。
この人を起点に、師弟の系譜が2本はっきり追えます。
- ウィリアム・ベル → ハーヴェイ・フィリップス → ダニエル・ペラントーニ(インディアナ大学でフィリップスの後任教授)
- ウィリアム・ベル → エイブ・トーチンスキー → ワーレン・デック(ニューヨーク・フィル首席 1979–2001)
コンスタンス・ウェルドン(Constance Weldon, 1932–2020)。1955年、アーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップスに入団しました。主要なアメリカのオーケストラで初めての女性テューバ奏者とされています。1960年からマイアミ大学の教授を務め、大学として初のテューバ・アンサンブルを創設。教え子にはボストン交響楽団首席のマイク・ロイランスや、エンパイア・ブラスを創設したサム・ピラフィアンがいます。
オーケストラの外で
トミー・ジョンソン(Tommy Johnson, 1935–2006)。2000本以上の映画サウンドトラックに参加した人です。何より有名なのは、ジョン・ウィリアムズ『JAWS/ジョーズ』のあのサメのテーマ。あれを吹いていたのがこの人です。
『ゴッドファーザー』『未知との遭遇』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ』『マトリックス』『タイタニック』にも参加しています。ジョン・ウィリアムズは彼を「彼の世代の偉大な器楽奏者の一人」と評しました。
クリフォード・ベヴァン(Clifford Bevan, 1934–2024)。ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニックの首席を務めた奏者ですが、それ以上に著書『The Tuba Family』で知られます。テューバ史を扱うときの標準文献です。
楽器そのものを設計した奏者
奏者が楽器の設計に関わる、というのはテューバでは珍しくありません。
フロイド・クーリー(Floyd Cooley, –2022)はサンフランシスコ交響楽団の首席を1969年から2001年まで務めました。入団時は「アメリカの主要オーケストラで最年少のテューバ奏者」でした。彼が使っていたHolton製のC管をもとに マイネル・ウェストン(Meinl-Weston)社が設計したモデルが 2165 で、これがアメリカのオーケストラやバンドで広く使われる定番機種になります。設計には前述のワーレン・デックも協力しました。
ダニエル・ペラントーニも、ロバート・トゥッチとともにB&S社向けのテューバ・マウスピースを共同設計しています。
いま世界の第一線で吹いている人たち
歴史の話だけで終わらせると、この楽器が今も動いていることが伝わりません。2026年9月時点で、各楽団の公式ページで在籍を確認できた奏者を挙げます。
奏者 | 所属 | 就任 |
|---|---|---|
ベン・トムソン | ロンドン交響楽団 首席 | 2019年〜 |
キャロル・ヤンツ | フィラデルフィア管弦楽団 首席 | 2006年〜 |
マイク・ロイランス | ボストン交響楽団 首席 | 2003年〜 |
アラン・ベア | ニューヨーク・フィルハーモニック 首席 | 2004年〜 |
ジーン・ポコーニ | シカゴ交響楽団 首席 | 1988年〜 |
ペリー・ホーヘンダイク | ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 首席 | 2004年〜 |
クリストフ・ジグラー(Christoph Gigler) | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 2012年〜 |
ポール・ルクセンバーグ | 香港フィルハーモニー管弦楽団 首席 | 2001年〜 |
この表の中で、2つだけ補足させてください。
キャロル・ヤンツは、メジャーなオーケストラで史上初の女性首席テューバ奏者です。2006年の就任でした。コンスタンス・ウェルドンがボストン・ポップスに入ったのが1955年ですから、「主要オーケストラ初の女性テューバ奏者」から「初の女性首席」まで、およそ半世紀かかったことになります。彼女のために書かれた協奏曲が2作あります。
ペリー・ホーヘンダイクは、この記事の前半と後半を繋ぐ人です。アーノルド・ジェイコブス、ロジャー・ボボ、ジーン・ポコーニの全員と師弟で繋がっています。歴史の話に出てきた名前が、現役のコンセルトヘボウの椅子まで一本の線で届いています。
独奏や現代音楽の側では、ノルウェーのオイスタイン・ボーズヴィーク(Øystein Baadsvik)が約60作の独奏曲を委嘱し、イギリス出身のジャック・アドラー=マッキーンが現代音楽で50作以上の新曲を委嘱しています。アドラー=マッキーンは2024年からマルメ音楽アカデミーのポストドク研究員で、演奏と研究の両方をやっている人です。
若い世代では、ディエゴ・スタイン(Diego Stine)が2026年のマルクノイキルヒェン国際楽器コンクールのテューバ部門で1位を取りました。今年の話です。
なお、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とロサンゼルス・フィルハーモニックの現首席は、公式ページで現況を確認できなかったため、ここには書いていません。
日本のテューバ奏者
日本にも第一線の奏者が大勢います。所属オーケストラの公式ページで在籍を確認できた方を中心に挙げます(2026年9月時点)。
奏者 | 所属 |
|---|---|
佐藤和彦 | 新日本フィルハーモニー交響楽団 首席 |
杉山康人 | クリーヴランド管弦楽団 首席 |
宮西純 | 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 |
横田和宏 | 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 |
柳生和大 | 日本フィルハーモニー交響楽団 |
山田悠貴 | 東京都交響楽団 |
近藤陽一 | 東京交響楽団 |
川浪浩一 | 大阪フィルハーモニー交響楽団 首席 |
次田心平 | 読売日本交響楽団 |
玉木亮一 | 札幌交響楽団 |
ピーター・リンク | 京都市交響楽団 |
海外の楽団で首席を務めている日本人もいます。杉山康人さんは2006年1月からクリーヴランド管弦楽団の首席テューバ奏者で、それ以前は2003年から2005年までウィーン国立歌劇場管弦楽団に在籍していました。兵庫県出身、相愛大学卒です。
オーケストラの外では、独奏者として活動する白井翼さん、藤田英大さん(元シンガポール交響楽団首席)、岩井英二さん。東京佼成ウインドオーケストラの池田侑太さん。NHK交響楽団の首席を38年務めた多戸幾久三さんは、2005年に退団して指揮者・教育者として活動しています。クラシックの外では、ジャズやポピュラーで活動する関島岳郎さんがいます。
4人が、同じ名前を師として挙げている
この記事を書くために各楽団の公式プロフィールを片っ端から読んでいて、あることに気づきました。佐藤和彦さん、横田和宏さん、柳生和大さん、近藤陽一さん。4人が、それぞれ別の楽団の公式ページで、独立に「稲川榮一」という同じ名前を師として挙げているのです。
稲川榮一(いながわ・えいいち、1945年〜)。広島県呉市の出身です。1969年に東京藝術大学器楽科のテューバ専攻を卒業し、1970年に読売日本交響楽団へ入団。その後ドイツに渡り、1974年にベルリン芸術大学を卒業しています。
特筆すべきは1973年から1989年まで、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団に在籍していたことです。日本人がドイツの歴史あるオーケストラの一員として16年間を過ごしたことになります。1978年にはケルン市から Kammermusiker(室内楽奏者/栄誉音楽家)の称号を受けています。
帰国後は東京藝術大学で1995年に講師、1996年に助教授、2004年から2013年まで教授を務めました。国立音楽大学、洗足学園大学でも教え、沖縄県立芸術大学から山形大学、大阪芸術大学、茨城大学まで各地で特別講座を持っています。
つまり冒頭の「4人が同じ名前を挙げている」のは偶然ではありません。1995年から2013年までの18年間、日本の音楽大学の最高学府でテューバを教えていた人なので、この時期に藝大を通った奏者の多くが、そのまま系譜としてつながります。
海外の側でペリー・ホーヘンダイクがジェイコブス・ボボ・ポコーニーを繋ぐハブになっているのと、構造がよく似ています。若い楽器の世界は、まだこういう形で人の名前が地図になるのです。
ちなみに稲川さんは呉、私は三次で、同じ広島県の出身です。テューバという楽器は、日本ではまだそのくらいの人数で回っているのだと思うと、少し面白い気持ちになります。
テューバが主役になる曲
協奏曲
ヴォーン・ウィリアムズ『バス・チューバとオーケストラのための協奏曲 ヘ短調』(1954年)。テューバのための協奏曲としてもっとも早い時期の、そしてもっとも重要な作品です。作曲当時、作曲家は80歳を超えていました。初演は前述のカトリネ。
グレグソン『テューバ協奏曲』(1976年)。ロンドン交響楽団首席だったジョン・フレッチャーの委嘱で書かれ、彼に献呈され、彼が初演しました。オーケストラ伴奏版・吹奏楽版・ブラスバンド版の3つの編成があり、現在もっともよく演奏されるテューバ協奏曲の一つです。
ジョン・ウィリアムズ『チューバ協奏曲』(1985年)。ボストン・ポップス・オーケストラ創立100周年の委嘱作で、同楽団の首席テューバ奏者チェスター・シュミッツに献呈されました。1985年5月8日、シュミッツの独奏・作曲者の指揮で初演されています。第1楽章に『スーパーマン』のテーマの断片が顔を出すのが、この人らしいところです。
スパーク『テューバ協奏曲』(2006年)。これは成立が変わっています。楽器メーカーのミラフォン社が委嘱したのです。演奏家でも楽団でもなく、楽器を作る会社がレパートリーを増やしにかかった例です。
スティーヴンス『ジャーニー』(1997年委嘱)。2000年にシカゴ交響楽団、独奏はジーン・ポコーニで初演されました。
無伴奏・室内楽
ペンデレツキ『カプリッチョ』(1980年)。無伴奏テューバのための作品です。大きな跳躍とグリッサンド、そして「出せる限りの高い音/低い音」といった指定を含む、ほとんど曲芸のような曲で、初演以来若手のプロがどれだけ吹けるかを測る物差しのように扱われてきました。中間部に諧謔的なワルツが置かれた、大まかなABA形式です。
ヒンデミット『バス・チューバとピアノのためのソナタ』(1955年)。ヒンデミットは管楽器それぞれのためにソナタを書いていて、そのテューバ版です。
イワゼン『チューバ(バストロンボーン)協奏曲』。ソナタから発展した作品で、テューバとバストロンボーンの両方で演奏されます。
オーケストラの中のテューバ
「有名なソロ」を私の主観で選ぶと偏ります。なのでオーケストラのオーディション課題曲リストという客観的な物差しを使いました。プロの楽団が「テューバ奏者の力量はここで測れる」と考えている箇所、ということです。
今回参照できたのは、フェニックス交響楽団、ボストン大学タングルウッド音楽院、サンディエゴ州立大学の公式資料です。シカゴ響やベルリン・フィルそのものの公式リストには到達できなかったので、その点は割り引いて読んでください。
そこに繰り返し現れるのが、次のような曲です。
- ワーグナー『マイスタージンガー』序曲、『ワルキューレ』第3幕
- ベルリオーズ『幻想交響曲』第4楽章・第5楽章、『ファウストの劫罰』の「ハンガリー行進曲」
- ブラームス 交響曲第2番
- ブルックナー 交響曲第7番
- マーラー 交響曲第5番 第3楽章
- ホルスト『惑星』より「木星」
- レスピーギ『ローマの噴水』
- プロコフィエフ 交響曲第5番 第1楽章
- ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第1楽章
- ヒンデミット『ウェーバーの主題による交響的変容』
- ヴェルディ『ナブッコ』序曲
- ガーシュウィン『パリのアメリカ人』
これに加えて、旋律を歌う場面として外せないものが2つあります。
ムソルグスキー(ラヴェル編)『展覧会の絵』より「ビドロ(牛車)」。テューバのソロとしてもっとも有名な一つですが、同時にもっとも議論のある一つでもあります。ラヴェルは高音の出るフランス式C管テューバを想定して書いたとされ、現代の楽器ではこの音域が高すぎるため、実際にはユーフォニアムで演奏されることが多いのです。どちらで吹くかは、今も奏者と楽団の判断に委ねられています。
マーラー『交響曲第1番』第3楽章。「フレール・ジャック」の旋律を短調に変えて、コントラバス独奏からファゴット、そしてテューバへと受け渡していきます。低音楽器が旋律を歌う、珍しくて印象的な場面です。
初心者のための豆知識
重さ。おおよそ9〜13キロというあたりが一般的です。C管で9〜11キロ、B♭管で14〜16キロといった数字も見かけます。出典によって幅があるので、目安として受け取ってください。ケースに入れて階段を上がると、数字以上に重く感じます。
管の長さ。まっすぐ伸ばすとF管で約3.7メートル、C管で約4.9メートル、B♭管で約5.5メートル。ここで面白いのは、出典によって数字が食い違うことです。
ヤマハの解説ではB♭管を「約9.6メートル」としています。これは誤りではなく、おそらく何を測っているかが違うのです。主管だけを数えるか、バルブの抜差管まで全部足すかで、答えは変わります。
ついでに言うと、「管の長さ」には物理的な長さと、音の側から逆算した実効的な長さという2つがあって、この2つも一致しません。開口端の補正の分だけ、音から見た管は物理的な管より長くなります。テューバ奏者の自習室ではこの区別を厳密にしていて、計算に使っているモデルでは物理的な管長が約5.6メートル、モード周波数から逆算した実効長が約6.1メートルです。
音域。どのサイズのテューバでも、F1から中央ドのC4あたりまでは無理なく出せる範囲です。現代の独奏曲になると、ペダル音域のB♭0以下から高音のC5まで要求されることがあります。
なぜ楽譜がそのままの音なのか。オーケストラのテューバは実音記譜で、低音部譜表に書かれた音がそのまま鳴ります。移調しません。
ところが英国式ブラスバンドでは話が違って、テューバも他の金管と同じく移調楽器として高音部譜表で書かれます。E♭管は記譜より1オクターブと6度下、B♭管は2オクターブと2度下で鳴ります。
ブラスバンドの伝統では全パートを高音部譜表に揃えることで、どの楽器に持ち替えても運指が同じになるようにしてあるのです。同じ楽器なのに、文化圏によって楽譜の書き方が違います。
楽器そのものの役割については、テューバ(チューバ)はどんな楽器か|音域と役割を吹く側からに書いています。
マニアでも知らないかもしれない話
1. 誕生日が分かる、珍しい楽器
トランペットやトロンボーンに「誕生日」はありません。何百年もかけて少しずつ変わってきた楽器なので、どこを起点にするか決められないのです。テューバは特許という形で記録が残っているので、年を名指しできます。金管楽器の中では例外的です。
2. ただし、その日付には諸説ある
ここからが本題です。「9月12日」という日付は、実は資料によって食い違います。
- 出願日を1835年8月9日とする記述がある(特許原本を参照したとするテューバ研究者による)
- 付与日を9月12日とするのが英語圏で広く流通している説(ITEAやヤマハもこれを採用)
- 付与日を12月14日とする資料もある(楽器史の専門データベース datamp.org が、ブラス楽器史研究者ザビーネ・クラウスの2020年の論文を出典として明記したうえで記載)
特許番号も「9121号」とするものと「19号」とするものの2系統があり、一致していません。
つまり「1835年に特許を得た」という年単位の事実は固いが、日にちは確定していないというのが、いま言える正確なところです。9月12日にお祝いすること自体は、業界の習慣として何も問題ありません。ただ「9月12日で確定」と書いてある記事を見かけたら、その裏にはこれだけの揺れがある、と知っておくと少し楽しいと思います。
3. ヴィープレヒトとサックスは、裁判で争っていた
テューバを作ったヴィープレヒトと、サクソフォンで知られるアドルフ・サックス。この2人の関係を扱った学術論文が存在します。ザビーネ・クラウス(アメリカの国立音楽博物館に所属したブラス楽器史の研究者)による「Wieprecht versus Sax: The German Roots of Adolphe Sax's Brasswind Designs」(2020年)です。
題名が示すとおり、サックスの金管設計にドイツ側のルーツがあったのではないか、という論点です。ただし私はこの論文の本文を読めていません。有料または要ログインで、本文に到達できませんでした。なので「こういう研究がある」という以上のことは書けません。論文の中身を確かめずに要約を書くのは、このシリーズの規律に反します。
4. 「ワーグナーチューバ」はテューバではない
上でも書きましたが、大事なので繰り返します。ホルン奏者が、ホルンのマウスピースで吹く、ホルン系の楽器です。名前に引っ張られて「テューバ奏者が持ち替える」と思っている方は、案外多いです。
5. 『春の祭典』には、誰も正解を知らない音がある
『春の祭典』のB♭テナーチューバ(ワーグナーチューバ)のパートには、ストラヴィンスキー自身がオクターブを指定しなかった箇所があります。どちらのオクターブで吹くべきかの議論は、初演から100年以上たった今も続いています。作曲者が書き残さなかったので、確かめようがないのです。
6. 現存する最古のスーザフォン
スーザフォンはヘリコンの改良型で、J.W. Pepper 社が製作し、スーザの発案とされています。現存する最古の個体が、カリフォルニアの Museum of Making Music に展示されています。
7. 便利な機構には、必ず代償がある
コンペンセイティング機構は、音程を機械が補正してくれる便利な仕組みです。その代わり、空気が余分な管を通るぶん息が重くなります。楽になるところと、しんどくなるところが交換されています。楽器の設計とは、だいたいこういうものです。
8. テューバの音響は、いま研究されている最中
エディンバラ大学の系譜にあるアーノルド・マイヤーズらが、テューバ族の楽器をボア(管の内径の広がり方)と入力インピーダンスの観点から比較する研究を行っています。楽器の「キャラクター」を測定可能な量に落とす試みです。
これも論文の本文には到達できなかったので、具体的な数値は書けません。ただ、この楽器がまだ「研究される対象」であり続けていることは、知っておくと面白いと思います。私がテューバ奏者の自習室でやっている計算も、ずっと素人寄りではありますが、同じ方角を向いています。
200年に満たない歴史の中で、テューバは軍楽隊の楽器からオーケストラの土台になり、独奏で舞台を持たせる楽器になりました。9月12日が本当に誕生日なのかは、正直なところまだ分かりません。それでも、年に一度この楽器のことを思い出す日があるのは、悪くないと思っています。
参考にした資料
この記事で事実として書いたことの主な出典です。
- ヴォーン・ウィリアムズ協奏曲の初演:フィリップ・カテリネット本人によるITEA Journal寄稿(1986年)
- アーノルド・ジェイコブスの教授法の継承:Rowsell (2018), トロント大学学位論文
- 特許日の異説:datamp.org(Sabine Klaus 2020年論文を引用)
- 杉山康人:クリーヴランド管弦楽団 公式
- 佐藤和彦:新日本フィルハーモニー交響楽団 公式
- 宮西純:神奈川フィルハーモニー管弦楽団 公式
- 柳生和大:日本フィルハーモニー交響楽団 公式
- 山田悠貴:東京都交響楽団 公式
- 横田和宏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 公式
- 稲川榮一:Wikipedia 日本語版
このほか、各奏者の所属楽団公式ページ、楽譜出版社の作品ページ、オーケストラのオーディション課題曲リスト(フェニックス交響楽団ほか)を参照しました。
この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
