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シューベルト「未完成」はなぜ2楽章で終わるのか|諸説と聴きどころ

シューベルト「未完成」はなぜ2楽章で終わるのか|諸説と聴きどころ

「未完成交響曲」という言葉を見て、「途中で放り出された、残念な作品なんだろう」と思ったことはありませんか。ところが世界中のオーケストラがこの曲を繰り返し取り上げ、聴衆は当たり前のように拍手を送ります。完成していないはずの曲が、なぜこれほど愛されているのか。素直に考えると、そこには小さな矛盾があります。

演奏会をつくる側、そして舞台に立つ側から見ると、この“矛盾”はむしろ入口です。私はこの曲を、欠けた作品としてではなく、途中で止まったまま独自の姿を保っている設計図として見ています。

シューベルトの「未完成交響曲」とは?:まず1分だけ

「未完成交響曲」は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが1822年に作曲した、ロ短調の交響曲です。番号は資料によって第7番、第8番と揺れますが、通称「未完成」で広く知られています。交響曲は本来、性格の異なる複数の楽章を束ねて一つの大きな物語を描く形式ですが、この曲は第1楽章と第2楽章の2つしか残っていません。第3楽章(スケルツォ)は途中まで書かれたスケッチが残っているものの、完成していない状態です。作曲から40年以上たった1865年、シューベルトの死後になってようやく初演されました。

「未完成」をめぐる諸説:どれも確定していない

なぜシューベルトは第3楽章の続きを書かなかったのか。この問いには昔からいくつもの説が唱えられてきましたが、本人が理由を書き残した記録は見つかっておらず、どれも“もっとも有力な仮説”の域を出ません。まずは主な説を、根拠と弱点を並べて見てみます。

根拠

弱点

健康悪化説

1822年末ごろから体調を崩し始めた時期と、作曲を中断した時期が重なる。

この後も歌曲やピアノ曲、大規模な交響曲を数多く書き上げており、体調だけでは説明しきれない。

楽想行き詰まり説

第3楽章は冒頭の数十小節がオーケストラ用に書き込まれたのち、ピアノ譜のスケッチのまま途中で止まっている。

なぜそこで筆が止まったかを直接語る手紙や証言はなく、楽譜の状態からの推測にとどまる。

献呈後放置説

楽譜は友人を介してグラーツの音楽協会に贈られ、長く手元を離れていたと伝えられる。初演はシューベルトの死後だった。

楽譜が長く眠っていた事実は「なぜ知られずにいたか」の説明にはなるが、「なぜ完成させなかったか」の答えにはならない。

二楽章完結説

ロ短調の第1楽章とホ長調の第2楽章だけで、緊張から安らぎへ向かう対比がすでに一つの物語として成立して聴こえる。

第3楽章の草稿が残っている以上、シューベルトは少なくとも一度は続きを書こうとしており、最初から2楽章で終える意図だったとは言い切れない。

どの説も、ある事実は説明できても別の事実の前では弱くなります。それが、200年近くたった今も「未完成」の理由に定説がない、いちばん正直な状況です。

「未完成」を、失敗ではなく設計として見る

ここからは、九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学んだ私の見方です。「本来4楽章あるべきものが2つで止まった」と見るか、「2つの楽章で結果的に完結してしまった」と見るかで、この曲の聴こえ方は変わります。ソナタ形式で書かれた第1楽章の緊張が、第2楽章の穏やかな響きで受け止められて終わる——この2つだけでも、行って帰る物語の骨格はすでに整っています。

面白いのは編成です。この曲は第1楽章からすでにトロンボーンを3本使っています。当時トロンボーンは、交響曲の中でもクライマックスまで温存されることが多い楽器でした。それを冒頭から鳴らしているのは、シューベルトが最初からこの曲を軽い習作ではなく、重みのある作品として設計していたことの表れとも読めます。

演奏会をつくる側の実感で言うと、25分前後で終わる2楽章の交響曲は、プログラムの中でとても独特なあつかいを受けます。4楽章そろった交響曲なら、それ1曲で演奏会後半をまるごと締めくくれますが、「未完成」はそうはいきません。前か後ろに何を置くかで、聴き手の印象は大きく変わります。静けさの残る第2楽章のあとに華やかな曲を続ければ、記憶は最後の高揚に上書きされますし、この曲を最後に置けば、静けさそのものを聴かせる時間になります。「2楽章しかない」という制約が、逆にプログラム全体の設計を強く要求してくるのです。これは、実際に演奏会を組む側でなければ気づきにくい感覚です。

よくある質問

Q. 「未完成」というタイトルは、シューベルト自身が付けたのですか?

A. いいえ。シューベルト自身がこの通称を付けた記録はありません。2楽章で終わっている楽譜の状態から、後年の人々が呼び習わすようになった通称です。

Q. 第3楽章以降を補って演奏する試みはあるのですか?

A. あります。残されたスケッチをもとに第3楽章を補筆したり、シューベルトの別の曲を第3・4楽章として組み合わせたりする試みは、これまでにいくつか発表されています。ただしいずれもシューベルト自身の設計図ではないため、演奏会で定着しているのは今も2楽章だけの版です。

まとめ

「未完成」は、放り出された失敗作ではありません。古典派からロマン派への橋渡しを生きたシューベルトが、2つの楽章だけを残して立ち去った、いまだに理由の分からない謎です。次にこの曲を聴くときは、なぜ止まったのかを詮索する前に、目の前で鳴っている2つの楽章がすでに何を語り終えているかに、まず耳を傾けてみてください。

この記事を書いた人

小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。

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