指揮台に立つ人を見て、「結局、あの人は拍子を数えているだけなんじゃないか」と思ったことはありませんか。指揮者の背中越しに舞台を見ている私たち奏者からすると、その見え方も無理はありません。手を振っているだけに見えて、実際に鳴っている音は演奏家がすべて出しているのですから。
テューバ奏者として、大小さまざまな指揮者の前で演奏してきた私から見ると、指揮者は「タクトを振るだけ」の役割では、まったくありません。
指揮者の役割とは? ― まず1分だけ
指揮者とは、オーケストラの前に立ち、テンポ・音の入るタイミング・強弱・フレーズの表情をひとつにまとめて、数十人の演奏をひとつの解釈へ導く人です。大編成のオーケストラでは、各奏者が譜面台越しに全員の呼吸を感じ取るのは難しく、まとめ役が要ります。ここまでは、たいていの解説にある話。本題は、この先です。
本番の指揮は、リハーサルという設計作業の“結果”でしかない
客席から見える本番の指揮は、指揮者の仕事のごく一部です。勝負は、その何日も前のリハーサルでほぼ決まっています。
たとえば、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章。あの有名な旋律をイングリッシュホルン(オーボエより一回り低い音のする木管楽器)が吹く前後、指揮者はテンポをどれだけ緩めるか、弦をどれだけ薄く残すかを、リハーサルで細かく試します。「そこはもう半拍、待ってから入って」「弦は音を出す前に、もう息を吸って」。指揮者が発するのは音符ではなく、こうした具体的な一言です。奏者はその言葉を自分の楽器の運指や息づかいに翻訳して、音にします。
本番のタクトは、この積み重ねを“起動する”スイッチにすぎません。振っているのは拍子ではなく、リハーサルで積み上げた時間そのものです。
低音を受け持つテューバは、その設計図の“土台”にあたります。同じ一音でも、指揮者が求めているのが重心の低い響きなのか、軽やかに前へ進む足取りなのかで、私たちは音の出し方をまるごと変えます。指揮者の手の動きの重さや速さを見て、次の一音の性格を判断する——本番中、私たちが指揮者と交わしているのは、言葉のない対話です。
指揮者は「目的から設計しなおす」人
私は演奏の仕事と並行して、業務の設計にも携わっています。そこで感じるのは、優れた指揮者がやっていることは、デザイン思考ととてもよく似ている、ということです。
デザイン思考とは、目の前にあるやり方を疑い、目的からもう一度設計しなおす考え方です。指揮者は「楽譜どおりに音を出す」ことを目的にしていません。「このホールで、この編成で、お客さまにどんな時間を届けたいか」という目的から逆算して、テンポもバランスも組み立てます。同じ楽譜でも指揮者が替われば別の曲のように聞こえるのは、演奏の巧拙ではなく、この“設計の目的”が違うからです。
この視点を持つと、コンサートの聴き方も変わります。「この指揮者は、この曲でどんな景色を見せたいのだろう」と考えながら聴くだけで、同じ交響曲がまったく違う顔を見せてくれます。
普段の仕事でも、“今までのやり方”を疑わないまま繰り返してしまうことは多いはずです。指揮者が本番のたびに解釈をゼロから決めなおすように、目的に立ち返って設計しなおす視点は、音楽以外の現場でも力になります。
よくある質問
Q. 指揮者によって演奏時間が変わるのはなぜ?
A. テンポの取り方や、フレーズの間の取り方が指揮者ごとに違うためです。同じ交響曲でも指揮者によって数分単位で演奏時間が変わることは珍しくありません。
Q. 指揮者は楽器を弾かなくても、音楽を作れるの?
A. 作れます。指揮者の仕事は個々の音を出すことではなく、大勢の演奏を一つの解釈へ組み立てることです。多くの指揮者はもともとピアノや弦楽器などの演奏経験を持ちますが、本番の指揮台では指揮という別の技術で音楽を作っています。
まとめ
指揮者は「タクトを振るだけ」の人ではありません。リハーサルで曲の目的を定め、音のバランスを設計しなおし、その方向を数十人と共有して、本番でひとつの演奏へ導く人です。すべてを聴き分けようとしなくていい。まずは「この指揮者は、この曲でどんな景色を見せたいのだろう」と思いながら聴いてみてください。
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この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
