「グリスを変えたら音が変わった」という話は、楽器屋でも本番前の楽屋でもよく出ます。その理由として決まって添えられるのが、“グリスで気密が変わるから”という説明です。抜差管やバルブの合わせ目に残るわずかなすきまが、埋まるか埋まらないかで音が変わる、と。計算で確かめました。
結論
計算したのは、合わせ目のすきまが音程と音のツボの深さ(=楽器がその音で共鳴する山の高さ)をどれだけ動かすかです。すきまの大きさは、奏者が楽器を測るときと同じ直径で書きます。
よくある疑問 | 判定 | ひとこと |
|---|---|---|
グリスで気密が変わるので音が変わる | 条件つき | 合わせ目ひとつなら直径0.1mmでも音程は目安5セントの1/47以下。動くのは音程ではなくツボの深さです。ただし音程側の変化は“漏れの量”では説明できません |
銘柄ごとの気密の差で音が少しずつ変わる | 違った | すきまを埋め切るかどうかで決まります。合わせ目ひとつなら1dB級になるのは直径0.2mmから=銘柄ではなく嵌合が緩んだ状態です |
では楽器全体ではどれくらい効くのか | 今回は確かめられず | 同じ直径0.1mm・10か所でも、管全体に散らせば0.7897dB、口元に集めると1.9619dB。実機の合わせ目がどこに何か所あるかを測っていません |
検証したこと
計算機の中に置いたのは、下の形のB♭テューバです。実物の4/4サイズを想定して組んだ架空の基準モデルで、このシリーズの記事はすべて同じ楽器を使っています。

- 管の全長:まっすぐ伸ばすと約5.6m
- ボア(バルブ区間の内径):19mm。実物の4/4サイズと同じ寸法です
- ベル径:400mm。実機の4/4(概ね420〜480mm)よりやや小さめです
- 基準:A4=442Hz、管の中は25℃
この管の途中に、合わせ目をひとつ作りました。内管と外管が20mmぶん重なり、その重なりの全周に一様な細いすきまが空いている、という置き方です。
- 振った量:すきまの直径。ほぼ密閉の0.0002mmから、抜差管が自重で落ちる1mmまで14段階(グリスが埋めるのは0.04〜0.1mmの帯)
- 置いた場所:合わせ目が実在しうる範囲(レシーバーの面から先)を0.1m刻みで走査し、大きく出た場所は0.01m刻みで詰めました
- 本数:1〜12か所。置き方は「管全体に等間隔」「バルブ区間に集中」「口元に集中」の3通り
- 固定したもの:重なりの長さ20mm、A4=442Hz、管の中は25℃
- 見た音域:モード2〜8(ペダル音は評価から外しています)
すきまの中は、空気の粘りが支配しています
すきまの中では、壁にへばりついて動けない空気の層(粘性境界層)が効きます。その厚みは50Hzで313µmあり、グリスが埋める寸法のすきまはそれよりはるかに細いので、すきまは端から端まで粘りで埋まった状態になります。このとき流れにくさは幅の3乗に反比例します。これはモデルに置いた関係そのもので、計算が見つけたことではありません。
この関係から、計算を回す前に予測をひとつ書き残しました。「銘柄で連続的に変わるのではなく、塞がっているか、いないかの二値に近いはず」。予測は結果より先にリポジトリへ記録してあります。結果は予測を支持しましたが、理由は予測より複雑でした。
検証結果
まず合わせ目ひとつあたりです。リードパイプの位置に置いたときの、モード2の変化を並べます。
すきまの直径 | 音程の変化 | ツボの深さの変化 |
|---|---|---|
0.004mm | −0.000219セント | −0.0001dB |
0.01mm | −0.001385セント | −0.0005dB |
0.04mm | −0.010697セント | −0.0128dB |
0.1mm | −0.052852セント | −0.1917dB |
0.2mm | −0.263923セント | −1.4154dB |
0.4mm | −1.988927セント | −7.4009dB |

この表はリードパイプ1点の値です。置き場所を走査し、モード2〜8のうちいちばん動くモードで見た上限はこうなります。
直径0.04mmでは、音程の変化は0.02838セント以下(目安5セントの1/176以下)、ツボの深さは0.01879dB以下。
直径0.1mmでは、音程の変化は0.10561セント以下(目安5セントの1/47以下)、ツボの深さは0.27499dB以下。
直径0.2mmでは、音程の変化は0.43123セント以下(目安5セントの1/11以下)、ツボの深さは1.98115dB以下。
合わせ目は1か所ではありません。本数と置き方を振ると、同じ本数でも答えが変わりました。直径0.1mmのときのツボの深さです。
次の表の値は、符号はすべてツボが浅くなる向きです。大きさだけを並べています。
本数 | 管全体に等間隔 | バルブ区間に集中 | 口元に集中 |
|---|---|---|---|
1か所 | 0.1415dB | 0.1625dB | 0.2223dB |
4か所 | 0.3225dB | 0.4069dB | 0.8407dB |
6か所 | 0.4878dB | 0.5974dB | 1.2310dB |
10か所 | 0.7897dB | 0.9695dB | 1.9619dB |
12か所 | 0.9431dB | 1.1496dB | 2.3051dB |

疑問と照らし合わせる
「気密が変わるから音が変わる」→ 条件つき。音程側は“漏れの量”では説明できません
グリスが埋める帯では、合わせ目ひとつあたりの音程の変化は最大でも0.10561セントでした。動くのは音程ではなく、ツボの深さの側です。
そして“気密”が指しそうな「漏れの量」では、この音程側の変化を説明できません。一滴も漏れない封止のすきま(同じ体積の空洞を開けただけのもの)と比べると、細い側では封止のほうが大きく動いているからです。
すきまの直径 | 開放(モード2) | 封止(モード2) |
|---|---|---|
0.04mm | −0.0107セント | −0.0243セント |
0.1mm | −0.0529セント | −0.0643セント |
0.2mm | −0.2639セント | −0.1284セント |
0.4mm | −1.9889セント | −0.2562セント |
細い側で効いているのは、すきまに閉じ込められた空気がばねとして働く分です。太い側では粘りによる抵抗が主役に変わります。どちらか一方の機序ではなく、移り変わりでした。ツボの深さ側は逆で、直径0.1mmの開放−0.1917dBに対し封止は−0.0035dBと55倍の開きがあります。
「銘柄ごとに少しずつ変わる」→ 違った。埋め切るかどうかで決まります
すきまの効きは、直径0.04mmから0.1mmへ変わるあいだに約15倍動きました。合わせ目ひとつでツボの深さが1dBに届くのは、口元側では直径0.2mmから、ベル側では0.4mmからです(いずれも気柱の上に置いた代表点で、実機の合わせ目がそこにあるという意味ではありません)。ただしベル側の0.4mmは1dBの線をまたぐ程度で、同じ条件でも別の音は線の下にあります。直径0.2mmは、もう銘柄の差ではなく嵌合そのものが緩んだ状態にあたります。
形も効いています。同じ開口面積の丸い穴と比べると、輪のすきまは音程で少なくとも206倍、ツボの深さで少なくとも3倍効きにくいという結果でした。面積が同じでも、細く長い形は音響的にはほとんど通しません。
「楽器全体では」→ 今回は確かめられず
直径0.04mmなら、置き方を変えても結論は変わりません。合わせ目をN箇所置いたときのツボの深さは、N×0.01879dBを上回らず、12か所でも0.2255dBです。音程の変化も、計算した3つの置き方では12か所で0.062〜0.213セントでした。
直径0.1mmでは決まりません。管全体に散らせば12か所でも0.9431dBですが、口元に集めると6か所で1.2310dBに達します。置き方に依存しない上限はN×0.27505dB(12か所で3.3006dB)で、こちらは1dBの線をはるかに超えます。上からも下からも挟めていないので、どちらにも決まらない、が正確です。
なお「1か所あたりの値×本数」では出せません。合わせ目ごとに周りの音圧も管の太さも違うので、掛け算は両方向にずれます。リードパイプの0.1917dBを10倍した1.92dBに対し、実際は等間隔で0.7897dB、口元集中で1.9619dBでした。
用語のはなし
セントは音程の細かさの単位です。半音を100等分したものが1セント、1オクターブは1200セント。人が音程の違いに気づけるのは、条件にもよりますが5セントあたりからと言われています。
音のツボの深さは、楽器の共鳴の山の高さです。山が深いほど唇がその高さに引き込まれて音が決まります。この記事のdBはその山の高さの変化で、出てくる音の大きさではありません(放射される音そのものは計算していません)。
1dBは、このシリーズが他の回でも使っている物差しの基準線です。音量の知覚の目安を借りた線であって、「1dB動けば奏者が気づく」という意味ではありません。
この記事について
この記事は数値シミュレーションによる検証で、実際の楽器を測定したものではありません。グリスやオイルは「すきまを埋めて幅を小さくするもの」としてだけ入っており、粘度そのものや操作感は扱えていません。合わせ目は真円・同心の一様なすきまとして置いているので、自重で片側に寄る実機とは違います(完全に寄れば、同じ平均のすきまでもツボの深さは2.45倍になります)。
すきまの幅の実在範囲も、大気に開いた合わせ目の本数も、出典を持たない仮定です。直径1mmは機能する合わせ目の外側の外挿点で、結論には使っていません。
「この説も計算してみてほしい」というものがあれば、ぜひテューバ奏者の自習室の投稿フォームから教えてください。お名前も連絡先も要りません。順番に検証して、結果が出たものから記事にします。
この記事を書いた人
小林悠真(こばやし・ゆうま)/一般社団法人LFコンサート 代表理事/テューバ奏者。広島県三次市出身。九州大学で音響設計と音楽マネジメントを学び、デザイン思考を軸に持つ。演奏する側の実感と“音の仕組み”の両面から、「誰もが音楽にたどり着ける道筋」のリデザインに取り組む。
